緑の党、反原発 受け皿に 朝日新聞新潟版より転載

2012年09月14日

 脱原発や大量消費社会の見直しを唱える地方議員たちが中心になって、この夏、日本版「緑の党」=※=を結党し、中山均・新潟市議が共同代表の1人になった。新党は何を目指すのか。政策実現のための戦略は。中山氏に聞いた。

 ――今までの環境保護団体・運動と、緑の党は何が違うのでしょう。

 緑の党は環境保護だけを訴える党ではありません。総合的な政策、ビジョンを持ち、それを政治の場で実現しようとしています。消費税引き上げには反対の立場ですし、再生可能エネルギーの普及や、貧富の格差をなくすための公正な税制も提言しています。

 ――この時期に結党したのはなぜですか。

 来年の参院選に向けて準備をしていたのですが、福島第一原発事故後の反原発のうねりに背中を押され、民意の受け皿を用意しようと結党を急いだのです。

 2001年、オーストラリアで各国の緑の党が集まって「グローバルグリーンズ」を結成したことが刺激となり、「日本でも緑の党をつくろう」という機運が強まりました。思いを共有する人々と、07年の参院選で無所属候補を立てて戦った経緯もあります。

 ――原発事故後、民意は変わりましたか。

 明らかに変わりました。事故の後、私たちのところに問い合わせが殺到しました。新潟市議会でも、柏崎刈羽原発の再稼働に賛同しないとの意見書が、「ハードルが高いな」と思っていた保守系議員にも支持された。彼らの支持者にも、原発に反対する人たちが実際に多いのです。
 ――民意のうねりは09年の民主党政権誕生のときもあったのでは。

 3年前は、自民党長期政権のほころびが見え、民主党を選んだけれども、結局、それまでと同じように民主党へ「お任せ」するという姿勢は変わらなかったのではないでしょうか。民主党政権も、原発問題でも相変わらず専門家や官僚の言うことを聞くだけだった。でも、原発事故後、市民は変わり、自ら勉強して声を上げる人が増えてきた。各地の「脱原発デモ」もその表れだと思います。

 ――柏崎刈羽原発再稼働や震災がれき受け入れ問題をどう見ていますか。

 「お任せ民主主義」から脱却する意味で、柏崎刈羽原発の県民投票の運動に賛同しています。若く、新しい参加者も多く、こういう芽を潰すわけにいかないと考えています。

 がれき問題では、過剰に危険性をあおる気はありませんが、市民の不安には合理性があります。震災がれきの1割以下の木くずや可燃物の広域処理に躍起になっている政府や市側の政策には疑問が残ります。

 ――次期衆院選はどう戦いますか。

 小選挙区では緑の党単独での擁立は難しい。比例区の東京、近畿ブロックなどで脱原発の候補者を他団体と共同で推したい。北信越ブロックは今のところ難しいと思います。来年の参院選は比例区を中心に10人の候補者を出す予定。消費税増税・原発推進に反対という条件で、様々な勢力と柔軟に共闘できるかも、と個人的には考えています。

 NPOとのつながりも生かし、国会に最先端の考えを持ち込み、刺激を与えたいのです。(インタビュー・構成 三木一哉)

なかやま・ひとし

1959年、新潟市生まれ。新潟大歯学部卒。専門は歯科放射線学と医療情報学。歯学博士、歯科医。2003年、地域政党「緑・にいがた」のメンバーとして新潟市議に初当選。07年に落選、11年に返り咲き、現在2期目。

※緑の党

環境保護、反原発、反戦、フェミニズムといった社会運動を母体にした政党。1970年代のオーストラリアで結成され、欧州にも広まった。90年代にドイツ、フランスなどで連立政権に参加。ドイツでは原発からの段階的撤退、フランスでは高速増殖炉廃止の道筋をつけた。

 日本では90年代、環境保護や生活者重視を訴える各地の地方議員の連携が活発になり、08年に地方議員らが政治団体「みどりの未来」を結成。これを母体に今年7月28日、国政政党の日本版「緑の党」が発足した。中山氏をはじめ地方議員ら4人が共同代表に就き、「原発のない社会」「公正な税制による所得再分配」「市民が行動・参加する民主主義の実現」を掲げている。